Heart Beat Football
2008年始まりにあたって、このブログも名称を新たにしたいと思います。 ブログ名はどうみても一昔前の三菱自動車のキャッチコピー「Heart Beat Morters」もパクリです。 本当にありがとうございました…
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アンチ・ヒューマニズム的ヒューマニズム
先週秋田県で男子小学生が殺害された事件がありました。同じ町では、その事件直前にも小学生が(こちらは事故の疑いもありますが)死亡しています。このような、子供が犠牲者になるような事件は必ずといっていいほど大きなニュースになります。いまどきの子供は(少なくとも我々が子供だった頃より)色々な危険が付きまとう中で成長していきます。それが社会全体の中で起きている事象なのか、子供を取り巻く環境に限定された事象かは判断しかねますが、それは相当なストレスであるに違いありません。
ところで、このような事件が起きると必ずと言っていいほど学校の先生たちは「命の大切さ」を子供たちに説きます。これって間違ってると思います。子供たちは罷り間違えば、犠牲者になるかもしれないし、そのリスクを自力では回避することが難しい存在です。子供たちに「命の大切さ」を説くのはどのような意味なのでしょうか?まるで子供達が将来犯罪を犯すに違いないから、釘を打っておきたいとも解釈できます。このような押し付けがましい警告というのは、一種の暴力と無理解なのではないでしょうか?暴力というのは、彼ら先生達や大人がこのような観点を欠落しているくせに、それに気づかず善意を以って命の大切さを説いてるから。無理解とは、子供は確かに弱い生き物です。だから特別な庇護が必要です。しかし、本来保護するべき点と憂慮するに値しない点がずれている事に無自覚であるという意味です。
このようにズレた価値観を無差別にばら撒くことに意味があるのでしょうか?哲学者の中島義道が「『対話』のない社会」で述べているように、このような言葉を浴びせるというのは極めて非人道的なことではないでしょうか?このような文脈で語られるヒューマニズムというものが一体いかほどの価値があるのでしょうか?
このように、伝える側と受け取る側の齟齬がはっきりしていることに気が付かずに一方的な価値を押し付けるのは有害です。そして、このような理不尽な押し付けがましさこそが最もヒューマニズムからは遠い存在ではないでしょうか?そもそも、ヒューマニズムという言葉を疑うことを知らないという意味で。
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