Heart Beat Football
2008年始まりにあたって、このブログも名称を新たにしたいと思います。 ブログ名はどうみても一昔前の三菱自動車のキャッチコピー「Heart Beat Morters」もパクリです。 本当にありがとうございました…
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民族主義とスポーツ
そういえば、5月26日のブログ記事
<正直、どこでもご飯を食べたいと思うのは単なる好き嫌いの問題ではなく、もっと民族主義的な問題もあるのではないかとも思いますが、後に書こうと思います。
と書いていました。すっかり忘れていました。
白鵬もとうの昔に横綱になったので、この問題についてさっさと書きます。

相撲は日本の国技です。
近年その相撲の国際化が叫ばれている中、またしてもモンゴル人横綱が誕生しました。これで東西横綱が揃った、なんて慶んでいられるでしょうか?なかには「またモンゴル人か」、「日本人の横綱はまだか?」という声も聞かれることでしょう。あるいは、「日本人力士はだらしない」なんて的外れな批判をしたり、たかが相撲如き、と静観を決め込むのもいいですが、ここでは、相撲を例にとりなぜ、このような事態が出来したかについて述べたいと思います。

まず、なぜ「またモンゴル人か」なのでしょうか?明らかに民族差別を助長する意見です。相撲の世界は実力主義の世界です。日本人だろうがモンゴル人だろうが、実力のある力士ならその実力に応じて位が上がって当然です。それをさせないことは(例えば、小錦の時のように!!)明らかなる民族差別です。逆に「日本人横綱はまだか?」という言葉の裏にも、日本人は必然的に横綱を輩出しなければならないというニュアンスが窺えます。このような明らかなる日本人と外国人に対する態度の温度差というのはどこから生じるものでしょうか?
ところで、その相撲の中では高見盛という弱小力士が成績とは関係なく(下手したら成績とは反比例するかのように!)人気を博しています。その一方で例えば、横綱の朝青龍は素行の悪さ(だったらちばてつやの「のたり松太郎」や「ああ播磨灘」はどうなるんだよ?)を論われる事があります。しかし、間違っていけないのは力士というヒエラルキー中では朝青龍の方が格上です。なのにこの扱いの違いは明らかに異常です。勿論、弱小ながら頑張っている力士を応援すること自体がおかしいという訳ではありません。ただ、この扱いの違いには何か意識されない
何かがあるのだと思われて仕方ありません。

弱小力士に肩入れする心性。これを俗に判官贔屓といいます。判官贔屓によって高見盛人気は成り立っているといっても過言ではありません。では、判官贔屓と民族差別は表裏一体なのでしょうか?結論めいた事をいえば、相撲の意味の拡散が問題の本質をの根本にある気がします。

先に触れた小錦の例のように、外国人力士に対して閉鎖的といわれ続けて来た角界ですが、ではそんな角界に外国人力士でも横綱になれるという前例を作った曙は、如何にして前例を作ったのでしょうか?勿論、実力によってです。およそ2メートル、体重は日本人力士の平気を上回る200キロを超え、その圧倒的な実力によって横綱に上り詰めたわけです。これをエポックメイキングといわずして何なのでしょうか?それはともかく、この事件が及ぼしたのは、「国技=相撲=日本人の専売特許」という関係の不成立でした。常識的に考えれば分かることですが、日本人は身体能力や体格がモノをいうスポーツが苦手です。当然、相撲だって例外ではなく、今現在も朝青龍を始め外国人力士に苦戦しているという状況に変わりはありません。ところで、これがいけないことでしょうか?スポーツとしてならば、いけない事ではない筈です。しかし、冒頭で述べた「またモンゴル人か」、「日本人の横綱はまだか?」には、判官贔屓以外の何か特別な事由があるように思います。つまりこう言いたいのでしょう。「相撲は日本人の伝統文化だ。日本人が守らなければいったい誰が守るんだ?」という、勘違いも甚だしいナショナリズムです。一見するとまともな意見に思えますが、一方で例えば、伝統・文化の名の下に相撲を賛美するのはいいが、その相撲の伝統「しきたり」として女人禁制があります。つまり、女性を土俵に上げないのは女性差別だ、という問題がのしかかって来る事になります。
事実女性差別です。しかし、古来から相撲は女性を土俵に上げないという差別をしてきました。一方で「女性も土俵に上げるべき」という声はごく最近になって聞こえてきたものです。
彼らは本当に伝統だの文化だのといったものを分かろうとしているのでしょうか?
平等なんて概念が18世紀の産物だというのにですか?もし、相撲が女人禁制で女性差別だとすると、彼らは相撲を文化として認めないのでしょうか?せいぜい未開人の一般習俗程度にしか思わないのでしょうか?
だとしたら、それは平等という概念による逆差別でしょう。そういう時に限って伝統や文化なんてお題目はそっちのけで、わかったようなしたり顔で「女性も土俵に上げるべきだ」などと、朝令暮改をする輩が伝統だの、文化だのを相撲に見出し、傲慢にも相撲力士にその伝統の担い手を期待して押し付けるなど笑止の沙汰です。このような、似非保守主義者こそが相撲の伝統を破壊する元凶と言わなければなりません。ある意味では全くの無知・無理解よりも罪深いものです。

ここで見えてきたのは、日本人が相撲に見出した伝統や文化なるものが、現代の(民族・人種・性別の)平等という公理とは乖離しているということです。しかしながら一方では、日本の伝統の名の下に不平等(差別)が罷り通っているという事です。外国人力士の活躍が図らずも伝統文化と現代の公理との乖離を顕在化させたともいえます。
こういう問題から目を逸らさないということが、本当の意味でのスポーツの国際化の第一歩ではないでしょうか?
したり顔で「ナショナリスティックな民族主義はいけない」だの「世界中で親しまれるスポーツ」だの叫ぶ前にこういう問題から目を逸らし続ける偽善こそが相撲に限らず日本のスポーツを腐らせてきた元凶だと思います。
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